1995/03/06

最北端へ…5泊6日、宗谷岬への旅 6日目 東京~伊賀

平成7年3月1日から6日にかけて、青春18きっぷとオール夜行列車で、冬の北海道・宗谷岬へ出かけました。 ここでは、その旅行記をご紹介します。

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第6日 平成7年3月6日(月)

東京

新宿に着いたがまだ早朝なので眠い。山手線に乗って、しばらく寝ることに決める。結局、山手線を3周ほどしてしまった。長い旅行で疲れていたら、東京では何もせずにまっすぐ帰る予定だったが、思いのほか元気だったので、東京で少し買い物をしてから帰ることにする。

東京 12:14 → 14:09 熱海

東京から熱海行きの東海道線に乗る。東京駅でドアが閉まろうとしているの時、電車に乗ろうとしていたおばあさんが、カバンだけドアに挟まれてしまう。近くにいた人がドアをこじ開けようとするが、なかなか開かない。ようやく駅員が気付いてドアが開きカバンが抜けたが、おばあさんは遠慮して電車に乗ろうとしない。車内の若者に「あばあちゃん、乗ってもいいんだよ。」と言われ、恥ずかしそうに乗ってきた。1時間半ほど熟睡して、終点の熱海に到着する。

熱海 14:14 → 14:58 富士

島田行きの普通列車に、富士まで乗車する。ここでもよく寝る。やはり旅の疲れが出たのだろうか。富士駅に到着し富士山を探すが、頂上の部分だけ雲に隠れて見えなかった。

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由比にて伊豆半島を望む

富士 15:09 → 17:38 豊橋

豊橋行きの普通列車に乗り換える。再び富士山を見てみるが、やはり富士山の頂上は雲に隠れて見えない。結局今回の旅行では、きれいな富士山を見ることはできなかった。清水辺りで、海の向こうに伊豆半島がきれいに見える。1人のおじいさんが乗ってきて、知り合いの女性と話をしている。そのおじいさんはなんと89歳で、1人で娘の家へ遊びに行った帰りらしい。少し耳が遠いだけで、口も身体も達者であり、とても驚かされる。

豊橋 17:44 → 18:33 名古屋

豊橋から大垣行きの新快速に乗る。会社帰りのサラリーマンが多く、空席はほとんどない。窓の外はもう真っ暗で、窓明かりやネオンが見えるだけだ。

名古屋 18:54 → 20:15 亀山

名古屋からは、18時54分発の亀山行きに乗る。この前に18時37分発の、乗ってきた新快速にちょうど連絡する電車もあるが、すでに超満員で、亀山から先に連絡する列車もないので乗らない。

亀山 20:17 → 20:48 新堂

亀山で加茂行きに乗り換える。20時48分に定刻通り新堂に到着。長かった旅もようやく終わりを告げた。

今回の旅の行程表
Image1

1995/03/05

最北端へ…5泊6日、宗谷岬への旅 5日目 函館~東京

平成7年3月1日から6日にかけて、青春18きっぷとオール夜行列車で、冬の北海道・宗谷岬へ出かけました。 ここでは、その旅行記をご紹介します。

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第5日 平成7年3月5日(日)

函館 8:46 → 10:18 竜飛海底

列車の待ち時間の間、函館駅前の朝市を見物する。朝が早いので、客はまだ少ない。歩いているとあちこちから声をかけられ、非常に困惑する。

海峡4号の海底駅見学専用車両である12号車に乗車する。12号車といってもそんなに長くつながっているわけではなく、多客時に最大12両編成になるために、便宜的に12号車にしたものらしく、この海峡4号は4両編成である。木古内で海底駅の案内係員が乗ってきて、海底駅見学に際しての注意がある。9時44分に青函トンネルに入った。

車内は今日から始まる、青函トンネル開通の7周年記念イベントの準備で慌ただしい。テレビ局の取材クルーが車内を撮影したり、係員が打ち合わせをしたりしている。イベントが行われる吉岡海底駅で、係員や取材陣、ものまねタレントなどが下車して、車内は急に静かになった。海底駅見学のため、竜飛海底駅で降りる。

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函館朝市

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道南の朝

竜飛海底駅

竜飛海底駅を見学する(写真)。見学者は自分を含めて4人と少なく、リラックスして見学する。人数が多いときは警備員が前後に付くらしいが、今日は案内の係員が1人だけであった。見学時間も長いのでまずは係員の身の上話から始まり、皆リラックスして見学する。人数が少ないということもあり、係員のサービスで本抗や斜坑も見せてもらう。売店で売っている、海底駅見学証明証がオレンジカードであるなど、JRも商売がうまい。また係員が言うには、同じ料金を払うなら、竜飛海底駅よりも吉岡海底駅の方がずっといいらしい。

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竜飛海底駅

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青函トンネル竜飛斜坑線 体験坑道駅

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竜飛海底駅に停車する快速海峡

竜飛海底 12:22 → 13:23 青森

竜飛海底駅の見学を終え、海峡6号に乗って青森へ向かう。海底駅見学専用の12号車はほとんど4人の貸切状態で、自由に座る。列車は青函トンネルを抜けて、本州に戻ってきた。函館で買っておいた弁当を食べる。地上部のトンネルを1つ通過するごとに天気が変わり、気象の変化が激しい。左側の車窓からは海が見え、白鳥が泳いでいるのを見ることもできた。青森に到着、連絡時間がわずかしかないので、走って秋田行きに乗り換える。

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津軽半島の山々

青森 13:28 → 16:54 秋田

秋田行きの列車は2両編成で、大館まではワンマンカーである。日も照って車内は暖かく、1時間ほどうたた寝をしてしまい、目が覚めると外は雪になっていた。大館で乗客の乗り降りがあり、先ほどまで降っていた雪もやむ。秋田に着き1時間ほど時間もあるので、駅前のイトーヨーカドーの地下で夕食をとる。

秋田 18:13 → 20:01 酒田

3両編成の酒田行きに乗車するが、車内はガラガラでゆっくりと座ることができる。今日は日曜日なのですいているのだろうか。車内は高校生らしき人が多い。車内で女子高生が、ティッシュを丸めたものを投げて遊びはじめた。しばらくして、そのティッシュが寝ている男性に命中してしまう。男性はそのまま、何もなかったかのように寝続けたが、顔は笑っていた。象潟でほとんどが降りて、乗客は私たち数人だけとなった。

酒田 20:04 → 22:17 村上

酒田で、向かいに止まっている村上行きに乗り換える。4両編成と長いが、車内はガラガラである。窓の外は真っ暗で、ただ雪が降っているのが見えるだけである。弁当を食べている鉄道ファンもいる。鶴岡で少し乗ってきたが、やはり車内はガラガラであった。

村上 22:20 → 5:10 新宿

村上で新宿行きの快速ムーンライト号に乗車する。行きはわずか3両編成だったが、今日は6両編成である。この列車は新潟から指定席となるが、それまでは全車自由席である。そのため、自分の指定席の席が空いているのか心配していたが、いざ車内に入ってみるとだれもいない。このまま行けば複数の座席を占領できるのではないかと期待していたのだが、新潟からどんどん乗ってきて、結局満席になった。新潟では雪だったが、明朝、新宿に着くと晴れていた。

6日目に続く

1995/03/04

最北端へ…5泊6日、宗谷岬への旅 4日目 稚内~函館

平成7年3月1日から6日にかけて、青春18きっぷとオール夜行列車で、冬の北海道・宗谷岬へ出かけました。 ここでは、その旅行記をご紹介します。

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第4日 平成7年3月4日(土)

稚内駅 → ノシャップ岬

早朝の6時00分に稚内に到着、外は非常に寒い。北に向かって歩き、駅前バスターミナルの位置を確認した後、さらに北のフェリーのりばの方へ向かう。堤防に登って海を見ると、細かい流氷が接岸している。この辺りまで流氷が来るのは数年ぶりだそうだ。綺麗な朝日が昇っている(写真)。

市内バスのバス停で始発便を待ち、ノシャップ行きに乗車する。バスには地元の人が数人乗っていただけであったが、ノシャップまでに全員降りてしまって車内は私1人になった。約10分でノシャップのバス停に到着。バス停から5分ほど歩いて、ノシャップ岬に立つ(写真)。朝が早いので誰もいない。海の向こうの利尻や礼文の山々を望むことが出来た。

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稚内駅

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稚内港の朝

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稚内港北防波堤ドーム

ノシャップ岬 → 稚内駅

ノシャップ岬を後にして、再びバス停まで歩く。別の方角から歩いてきたおばさんと合流して、バスに乗る。私たちが乗り込むと、バスはすぐに発車した。どうやら私たちが乗るのを待っていてくれたようだ。頻繁に小学生など地元の人々の乗り降りがあって、稚内駅前に到着。私1人がここで降り、バスターミナルまで歩く。やっぱり寒い。

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ノッシャプ岬

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流氷

稚内駅前ターミナル 8:10 → 9:02 宗谷岬

駅前ターミナルの待合い室で、バスの発車を待つ。宗谷岬までのバス代は、バスの車内で現金払いしようと思っていたが、他の人がみんな切符を買っているので自分も切符を購入してみる。宗谷岬まで往復で買うと、なんと1割引で買うことができ、少し得した。

時間になって、大岬行きのバスに乗車。南駅前からも少し乗ってきて、車内はぴったり満席になった。バスは海沿いを走り、宗谷湾の海から湯気が上がっているのが見える。案内のテープが「次は宗谷です。宗谷岬へは宗谷岬バス停でお降り下さい。」と注意しているにもかかわらず、2人連れの乗客がベルを鳴らし、宗谷バス停で降りようとする。しかし、自分たち以外は誰1人そこで降りようとしないので間違いに気づいたようだ。今度は本当に宗谷岬に着き、全員が降車した。

宗谷岬

今回の旅の目的地である日本最北端の地、宗谷岬に降り立つ(写真)。本当の日本最北端は択捉島であるが、ロシアに占領されているので除外。宗谷岬のさらに北に小さな島が1つあるが、この際はどうでもいい。

日本最北端の地碑に登って写真を撮ったり、碑の後ろに回り込んで、まさに最北端の地に立ったりして、1人で喜ぶ。流氷は引いてしまっていたが、中には残っている流氷に乗っている人もいる。海の向こうを見ると、異国サハリンの山々を望むことができ、初めて見る外国に感動する。宗谷岬には100台分もの駐車場があり、ガイドブックの写真を見ると、夏場には人であふれるようだが、今は冬の早朝ということもあり人も少なく、ゆっくりと観光することができた。

日本最北端の売店で、最北端到達の証明証を発行してもらってバス停へ戻る。スピーカーからは、宗谷岬の歌が延々と鳴り響いていた。

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宗谷岬

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最北端に立つ

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気温は0度

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日本最北端の店

宗谷岬 9:30 → 10:25 稚内駅前ターミナル

宗谷岬からバスに乗って、稚内駅に戻る。途中、地元の少し乗ってきたりして、車内は立つ人も出るほど満員になった。隣の席に座った地元のおばあさんの話では、流氷は昨日までびっしりと海を覆っていたが、今日は風向きが変わって引いてしまったらしく、かなり残念。稚内駅構内の立ち食いそばを食べて、列車を待つ。

稚内 10:48 → 14:13 名寄

稚内から名寄行きのワンマンカーに乗る。1両編成であるが、車内はガラガラである。車内には、沿線市町村の広報誌が置いてある。しばらくして右手に海が見えてきて、海の向こうの大きな利尻富士(利尻島)を見ることができるようになる。利尻富士は、雪が積もっていて、とても美しく見える(写真)。ここから見る利尻富士が最高と思ったその瞬間、線路沿いに「利尻富士」と書いた標識が立っていた。

今日は雲ひとつない快晴で、車内はとても暑い。雪の大地は太陽に照らされて、まさに一面の銀世界になっている。雪の上には人間の足跡や車の趾はまったく見えず、見えるのはキタキツネの足跡だけである。キツネが顔を見せるのではないかと期待していたが、残念ながらそれは見ることはできなかった。

車窓から見える天塩川はほとんど凍り付いて雪が積もっていて、所々に水が見えるだけである。美深で数人乗ってきたが、他はほとんど乗り降りがなく、終点の名寄に到着した。

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利尻富士

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名寄駅

名寄 16:00 → 18:58 深川

名寄から廃止間近の深名線に乗車する。乗客の9割以上が鉄道ファンで、1両編成の座席の半分が埋まった。地元の人はほとんどいないが、車掌は乗務している。今朝、稚内のバスターミナルで見たテレビでは、深名線廃止後の転換バス試乗会のニュースをしていた。もう深名線に乗ることは一生ないだろう。手塩弥生を過ぎて上り坂になり、列車のスピードは一気に落ちた。ゆっくりと列車は山を登っていく。線路は山の中に敷かれていて、どの窓から見ても道は人家はまったく見えない。良くこんな所に鉄道を通したものだ。

上り坂も終わって列車のスピードも上がり、ようやく道路が見えてきて、北母子里に着く。列車は朱鞠内湖の湖岸を走っていく。しかし、湖は完全に凍り付いて雪が積もり、木が生えていないので湖であるということが分かる程度である(写真)。次の駅の湖畔までの間には以前、白樺、蕗ノ台という2つの駅があったらしいが、今は廃止されている。列車は、この2駅の跡で徐行してくれた。なかなか気の利いた運転手である。この2駅には、小さな駅舎がまだそのまま残っていた。

朱鞠内では、たくさん鉄道マニアのカメラが出迎えてくれ、対向列車が駅で待っていた。添牛内駅では、ホームに1メートルほど雪が積もっていて、列車への乗車口の部分だけ雪をよけてあり、まるで切り通しのようになっている。辺りはもう真っ暗。幌加内で対向列車に乗り換えるのか、数人の鉄道ファンが降車した。

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雪に埋もれた朱鞠内湖

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朱鞠内駅

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朱鞠内駅で行き違いをするディーゼルカー

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のこせ!安全な深名線=深川駅前にて

深川 19:19 → 19:31 滝川

深川から滝川までの1区間だけ、特急スーパーホワイトアロー24号に乗車する。深名線で一緒だった鉄道ファンも、数人がこれに乗った。後ろの車両の自由席は混んでいたが、指定席車で一部が自由席となっている1号車はガラガラだったので、そこの自由席に乗る。直線区間を10分ほど乗って、すぐに降りる。

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特急スーパーホワイトアロー

滝川 19:41 → 21:41 札幌

滝川で、ホームの向かいに停車中の札幌行きの鈍行に乗り換える。4両編成のうち、後ろ2両は回送車で乗車できないが、座席はすいている。車内は普通のクロスシートが並んでいるタイプだが、関空快速のように座席は1列と2列の配置で、左側は座席の幅が半分しかない。車掌が特急から乗り換えるのを見ていたようで、特急券と乗車券を見に来た。どうやら、たまに特急の切符をちょろまかす鉄道ファンがいるらしい。

札幌(その2)

札幌に到着、次の列車までまだ時間があるので夜の札幌を散策する。まずは、北海道大学へ向かうが、道中で2回連続で転ぶ。これで、昨日の小樽と合わせて3回転んだことになる。北海道の人は、転んだりはしないのだろうか。クラーク博士像の前で写真を撮る。隣には学生が作ったらしいわら人形が並んであった。村山首相も食べたというラーメン屋でしょうゆラーメンを食べ、夜の時計台を見に行く。

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少年よ大志を抱け

札幌 23:30 → 6:30 函館

札幌からは再び、快速ミッドナイト号のカーペット車に乗車する。ミッドナイト号のカーペット車になれた男性がいて、いろいろ周りの人にアドバイスしているが、うるさがられているようだ。列車が発車したが、カーペット車にまだ場所が少し余っている。カーペット車の指定券はすべて売り切れだが、乗らなかった客もいるようだ。世話好きな車掌が座席車から数人乗客を連れてきた。

車掌が検札に来て、千歳までの切符と青春18切符で乗ろうとしていた少年が、車掌にこの切符では乗れないと、間違いを指摘されている。前に乗ったときはこの切符で良かったという。青春18切符は0時を過ぎて次に停車する駅までが有効範囲で、終着の函館まで止まらないこの列車に乗るには、札幌発の日付の入っている青春18切符がなければならない。どうやら彼は、途中駅にも止まる多客時のダイヤと勘違いしたらしい。結局この少年は、青春18切符を1枚無駄にすることになった。

横になって眠りにつく。両隣からのいびきで一度起こされるがすぐに熟睡、気がつくと外はもう明るく、函館の1つ手前の駅である五稜郭を過ぎていた。すぐに函館に到着する。

5日目に続く

1995/03/03

最北端へ…5泊6日、宗谷岬への旅 3日目 札幌~稚内

平成7年3月1日から6日にかけて、青春18きっぷとオール夜行列車で、冬の北海道・宗谷岬へ出かけました。 ここでは、その旅行記をご紹介します。

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第3日 平成7年3月3日(金)

札幌 7:00 → 7:47 小樽

7時00分発の普通列車で小樽へ向かう。札幌ではすいていたが、進むにつれ車内は満員になってきた。窓の外の雪原は、日が照って輝く一面の銀世界である。銭函を過ぎると、海岸沿いを走り、海の向こうに対岸の山々が綺麗に見える。昨日の日本海とは違い、今日の海は穏やかである。

小樽 → 南小樽

小樽駅で降りて、小樽運河まで歩くことにする。道路には雪が積もって、それが踏み固められていてツルツル。歩くのも慎重になり、いつものスピードが出ない。道中、近代建築の建物を見物しながら歩き、小樽運河へ到着。小樽運河の遊歩道にも雪が積もっていて、観光ガイドの夏の写真とはまったく風情が違う(写真)。小樽駅まで歩いて戻り、隣の南小樽駅まで再び電車に乗る。

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雪の小樽運河

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旧日本銀行小樽支店

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旧三菱銀行小樽支店

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旧北海道拓殖銀行小樽支店

南小樽 → 札幌

電車を南小樽駅で途中下車し、小樽オルゴール堂へ向かう。やはり道はツルツルで、その上坂道が多く、さらに慎重に歩かざるを得ない。オルゴール堂でおみやげを買って、南小樽駅に戻る。その帰り道、ついに滑って転んでしまった。快速マリンライナーで札幌へ戻る。

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小樽オルゴール堂

札幌(その1)

次に乗る列車は、札幌22時00分発で、まだまだ時間があるので、札幌の市内観光をして時間をつぶす。時計台に行くとちょうど正午で、鐘が鳴り響き驚く。時計台の中にも入りたかったのだが、改修中で見学はできなかった。旧北海道庁(写真)やすすきのなどを歩いて訪れ、夕食を食べにラーメン横丁へ向かう。ラーメン横丁の入口で、男性に「ラーメン横町でラーメンを食べるのか?」と呼び止められた。そうだと返事をすると、「○○がおいしいからそこ食べてみろ。」と言われた。その言葉を気にしながら店を選ぶが、結局別の店で味噌ラーメンを食べる。後で考えると、あの男性はサクラだったのかも知れない。

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旧北海道庁

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札幌時計台

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札幌テレビ塔

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ラーメン横丁

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ススキノ

札幌 22:00 → 6:00 稚内

稚内まで、急行利尻号の自由席に乗車する。発車の1時間前の21時から並び、2番目で利尻号の車内へ入り席を確保する。自由席はすぐに満席になり、座れない人も出てきた。札幌を発車、旭川でたくさんの客が降りて車内がすいたので、2席を占領して横になって寝る。朝起きると、窓の外は雪の大地が広がり、別世界になっていた。

4日目に続く

1995/03/02

最北端へ…5泊6日、宗谷岬への旅 2日目 村上~札幌

平成7年3月1日から6日にかけて、青春18きっぷとオール夜行列車で、冬の北海道・宗谷岬へ出かけました。 ここでは、その旅行記をご紹介します。

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第2日 平成7年3月2日(木)

新宿 23:03 → 6:12 村上(その2)

5時12分に新潟に到着、乗客が降りて席が少し空く。新潟からは自由席となるので、空いた席に移り、2席を独占して座る。外はまだ暗い。朝の歯磨きをしようと洗面台に行くが、女性が使用中であった。すぐに終わるだろうと察し、歯ブラシを取り出して水だけ借りて磨き始めることにする。ところがその女性はなかなか洗面台の使用が終わらず、そのあいだ私はずっと歯を磨いている。10分くらいしてようやく洗面台があき、ようやく口をすすぐことができた。こんなに長く歯を磨いたのは初めてである。終着の村上に着くころ、ようやく空が明るくなってきた。

村上 6:17 → 8:36 酒田

村上に着き、地下道を通って酒田行きの普通列車に乗り換える。4両編成で、オールクロスシートの車両あり、オールロングシートの車両あり、これらが組み合わされた車両ありと、バラエティーに富んでいる。村上を発車して、窓の外には日本海が広がる。しばらくすると車掌から粟島についてのアナウンスがある。粟島は村上沖に浮かぶ小さな島で、粟粒のように見えることからこう名付けられたらしい。なるほど日本海のはるか沖に、粟粒のような小さな島が浮かんでいるのが見える(写真)。北に行くにつれ、雪が深くなってきた。鶴岡でたくさんの客が降りる。車掌の東北なまりの放送がなかなかよかった。

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日本海に浮かぶ粟島

酒田 9:48 → 11:58 秋田

酒田から秋田行きの普通列車に乗る。山側の窓からは雪で真っ白になった鳥海山が綺麗に見え、思わずスキーがしたくなる。反対側の窓から見える日本海は、相変わらず荒れている。象潟を過ぎて少し吹雪いてきた。隣の席ではおばさんたちが世間話をしているが、完全な東北弁で、何を言っているのかさっぱり理解できない。

秋田行きは、オールロングシートの3両編成の新型電車である(写真)。この電車は寒冷地仕様で、ボタンを押さないとドアが開かない。駅に着いてもランプが点くだけで、ドアの開く音も聞こえず寂しい。この電車に初めて乗ったらしいおばあさんが、ドアの開け方が分からずに、降りる駅を過ぎてしまったようで、車掌を困らせている。車掌が一生懸命ドアの開け方を教えようとするが、なかなか理解できないようだ。行き違い列車と対向する駅で、おばあさんは車掌に連れられて反対方向の電車に乗り換えていった。

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酒田駅

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酒田駅にて

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羽後本荘駅にて由利高原鉄道の車両

秋田 12:14 → 15:27 青森

青森行きの快速しらかみ3号は、2両編成のワンマンカーである。秋田で乗り換えたときにはすでに満員で、空席を見つけて何とか座る。吹雪もおさまり日が照ってきて、雪の反射がまぶしい。東能代で少し乗客が降りて、高校生がたくさん乗ってきたが、次の駅でほとんど降りてしまった。もう窓の外は、一面真っ白である。

しらかみ3号は大館からは普通列車となり、弘前からは車掌が乗車してきた。ムーンライト号でも見かけたカップルが、高校の帝国書院の地図帳を見ている。一方私はワラヂヤの道路地図を見て現在地を確認する。やっぱり地図帳は帝国書院、道路地図はワラヂヤに限るとあらためて思った。

雪がさらに深くなってきて、地元の人は長靴やブーツを履いている人が多い。列車は雪の中を走り、列車の風で雪が舞い上げられて美しい。いつのまにか寝てしまい、目が覚めたときは青森に到着する直前であった。

青森 16:08 → 18:49 函館

青森に着くとすでに函館行きの海峡13号は停車中で、窓ぎわに席を確保する。自由席は発車の30分前に、ほぼ席が埋まってしまった。一旦改札を出て、夕食用の駅弁を購入する。 青森を発車して津軽海峡線を走る。雪が舞い、窓の外は真っ白で何も見えない。17時06分、9つの地上トンネルの後に青函トンネルに突入した。トンネル内では車内の電光掲示板で現在地などが案内され、45分で青函トンネルを抜け、ついに北海道に入った。トンネルに入る前はまだ明るかったのに、外はもう暗くなっていた。

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快速海峡

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青森駅

函館

20時15分、函館駅前から定期観光バス「夜山のロマンコース」に乗って函館山へ向かう。バスは、湯ノ川温泉からの客でほぼ満席で、駅前から乗った客の中には補助席に座る人もいる。ガイドさんの話では、今日は雪が舞っていて函館山の頂上が見えないので、夜景は期待できないかもしれないらしい。

函館山の山麓に着いた。夏場はバスでそのまま頂上に登るらしいのだが、冬は雪で登山道路は通行止めで、ロープウェイで山頂に登る。展望台に到着すると、先ほどまで散っていた雪はやみ、函館の百万ドルの夜景がとても綺麗に見える。私を含め、みんな夜景の美しさに言葉を失ってしまった(写真)。21時00分発の最終のロープウェイで山を降りると、また雪が降りだした。再びバスに乗って、函館駅へ戻る。

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函館山ロープウェイ

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函館山より夜景を望む

函館 23:30 → 6:30 札幌

札幌行きのノンストップ快速ミッドナイト号は、発車の1時間も前の22時30分に早くも入線した(写真)。青春18切符は0時を過ぎて次に停車する駅までが有効範囲である。私はこのルールを使い、函館を23時30分に発車した後は終点までノンストップであるのをいいことに、札幌までほとんどただ乗りする。翌日は、普通の切符を使う予定である。

ミッドナイト号はカーペット車で、横になって足を延ばして寝ることができる。車内に入り、夜遅くまでしゃべってうるさいと思われるグループ連れのいるところを避けて場所をキープ。車掌から、おしゃべりや飲酒は他のお客様の迷惑になるので慎むようにと、気の利く放送がある。すぐに横になって眠りにつく。1度だけ目が覚めたが、次の瞬間はもう札幌、昨夜の雪で一面真っ白であった。

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函館駅に停車中の快速ミッドナイト

3日目に続く

1995/03/01

最北端へ…5泊6日、宗谷岬への旅 1日目 伊賀~村上

平成7年3月1日から6日にかけて、青春18きっぷとオール夜行列車で、冬の北海道・宗谷岬へ出かけました。 ここでは、その旅行記をご紹介します。

第1日 平成7年3月1日(水)

新堂 11:55 → 12:26 亀山

新堂11時55分発の列車で、いよいよ最北端への旅へと出発する。列車は2両編成の軽快気動車で、車内はガラガラである。柘植を過ぎて、平行して走っている名阪国道を見ると、工事の影響で道路は大渋滞になっていてトラックや乗用車がノロノロ運転で走っている。一方列車はそれを横目に見ながら軽快に走り、12時26分に定刻通り亀山に到着した。

亀山 12:48 → 13:53 名古屋

接続電車の発車まで20分以上時間があるが、早速名古屋行きの電車に乗り換えて発車の時をひたすら待つ。乗ったときは3両編成の車内はガラガラであったが、発車時刻が近付くにつれて高校生が大量に乗車してきて満席になった。平日の昼間なのに高校生がなぜこんなにたくさんいるのか不思議に思ったが、よく考えてみると今日は3月1日、卒業式の日であった。

ところがこの高校生連中は、大きな声でしゃべったり歩き回ったりと、非常にマナーが悪い。亀山を発車して、そのうち私は寝てしまったが、しばらくして暑さで目が覚める。そのとき、タイミング良く例の高校生連中が窓を開け、涼しい風が入ってくる。私は暑くて目が覚めたくらいだから、車内が涼しくなって気持ちがいいが、他の乗客は迷惑そうな顔をしている。13時53分、名古屋に到着。

名古屋駅では改札を出て、夕食を買うためにコンビニを探す。かなり強い風が吹いていて、歩きにくい。近くにローソンとサークルKがあったはずだが、どこにあるのか忘れてしまった。しばらく迷ってようやくサークルKを発見、夕食用のおにぎり等を買って駅に戻る。

名古屋 14:42 → 15:19 蒲郡

名古屋から豊橋行きの新快速に乗車する。4両編成と短いので座れないのではないかと心配していたが、思ったよりすいていて、簡単に座ることができた。蒲郡に着くと、隣のホームに静岡行きの電車が停車している。今乗っている新快速からこの電車に、豊橋で乗り換える予定だったが、豊橋で乗り換えると待ち時間も長くなるし、座れないといけないので、蒲郡で一足早く乗り換える。

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蒲郡 15:21 → 16:16 浜松

蒲郡から静岡行きの普通列車に乗る。卒業式を終えて、よく似た花束を持った高校生をちらほらと見かける。卒業式での花束といえば、クラブの後輩にもらったりするものであると思っていたが、近ごろの高校生は、卒業式で全員花束をもらうのだろうか。浜名湖に近付き、車窓から湖の方向を見てみるが、残念ながら新幹線の高架で湖は見えない。浜松に着いて、乗客がたくさん乗車してきて満員になった。浜松が始発で、発車がこれより8分遅い熱海行きがあるので、それに乗り換えるために下車する。先ほど満員になったに比べて、こちらはガラガラであった。

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天竜浜名湖鉄道のレールバス

浜松 16:30 → 18:36 沼津

浜松から熱海行きの電車に沼津まで乗る。美しい夕陽が沈んでいくのが見える。明日も晴れるのだろうか。乗ったときは、始発駅でもあるので車内はガラガラであったが、静岡でほぼすべての座席が埋まった。富士駅に近づいてきた富士山を探してみるが、外はもう真っ暗で何も見えない。終着駅の3駅手前の沼津で降りる。

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浜松にて

沼津 18:58 → 21:14 品川

沼津始発の、東京行きの普通列車に乗る。11両編成と長いが、その分乗客も多い。小田原でほとんどの客が快速に乗り換えてしまうが、自分は急いでいないのでそのまま残り、品川まで乗車する。朝のうち関東地方に大雪が降っていたらしいが、品川駅前の雪は、すでにほとんど解けていた。

品川 → 新宿

品川から新宿までは山手線に乗る。10時前に新宿駅に着く。新宿駅は明治18年3月1日の開業で、今日がちょうど開業110年の日であり、横断幕が張られていた(写真)。

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開業110周年の新宿駅

新宿 23:03 → 6:12 村上(その1)

新宿から村上までは、夜行快速のムーンライト号に乗車するため、ホームで待つ。発車の20分前の22時42分に、3両編成で入線してきた。ホームで列車を待っている時に、ムーンライト号の指定席はすべて売り切れとの放送があったが、3両編成とは思ったより短かい。窓ぎわのリクライニングの指定席に座る。やはり、青春18切符を持った鉄道ファンが多く、あちこちで鉄道に関する話をしているのが聞こえる。新宿を発車、隣の席はまだ空席である。

池袋で隣の席に男性が座る。しかし、荷物が異常に少なく一般の会社帰りのサラリーマンのようで、本当に新潟まで行くのだろうかと不思議に思う。案の定、赤羽根でその座席の指定席券を持った青年が乗ってきて、退いてもらおうとするが、サラリーマン風の男性は熟睡していてなかなか起きない。3分ほどしてようやく男性は目を覚まし、別の座席に移動し、青年は私の隣の座席に腰を下ろし早速眠りについた。

深夜1時09分に高崎を発車して、先ほどの男性が車掌と何か話をしている。どうやら夜行列車のムーンライト号と知らずに乗車してしまったようで、次は新潟県の長岡まで止まらないと聞かされてあ然としている。結局、翌朝、長岡から新幹線で引き返すことにしたようだ。家にも帰らず、明日はそのまま会社に行くのだろうか。照明が落ち、窓ガラスが曇ってきて、車内は静かになった。

2日目に続く